Written by Sayaka Nishide.

駅で自分を拾ってくれた人と結婚した

LOVE thought 恋愛と結婚 恋愛について

以下、旦那視点の私たちの馴れ初め。

出会いは新宿駅

一年半前、お酒と睡眠薬を大量に飲んで外で倒れてしまった。

動けない僕に、声をかけてくれた人がいた。
僕に水を渡してくれたその人は、手に持った大量の睡眠剤のゴミを見て
「何でそんなことするの」と泣きながら僕に怒った。

それが後に僕の奥さんになる、さやかさんだ。

僕の家族

まず、さやかさんとの出会いの前に、自分の家族について話す必要がある。
端的に言えば「僕の家族が機能不全で、それをTwitterで発信していたところ、見かねたさやかさんが僕を保護する」ような形で出会ったからである。

僕の家庭は平凡で仲の良い家族だった。「仲の良い家族を演じていた」という方が正しいだろうか。
モラハラ気質で子どものような父と、その顔色を伺う母。実態は健全とは呼べなかった。

父は、子どもの前では怒ることをせず、母と二人きりの時に「お前はダメだ」というようなことを幾度も話していたらしい。
母は、父がいない時にそのことを子どもに話しては「ああいう大人になってはダメ」と言っていた。
それにより子どもは両親どちらの顔色も伺う必要があった。結果、人の感情を読み取る能力だけが抜群に高くなった。

大学卒業後、僕はすぐに就職した。上場している中堅大手で、就職が決まった際は両親も喜んでいた。
入社後、半年は社内で表彰されるなど順調だったが直属の上司が変わって環境の変化があり、ストレスが重なってうつ病を発症。休職することになった。今思えば発達障害からくる二次障害だったのかもしれない。

一人暮らしをしていた僕は一旦実家に戻り、家族と共に過ごすことが多くなった。
だが、家族は精神論で解決しようとした。

「親に迷惑をかけないと強く思えば、うつ病になんてならない!」 
元気付けるためにそう言ったのだろうが、僕にとっては逆効果で、怖かった。

僕は両親に復職したと嘘をついて、一人暮らしを再開することにした。
それでも「気持ちは強く持ってるか!?」というメッセージが頻繁に届いた。

両親は心配したのだと思う。でもそれはその頃の僕にとっては逆効果だった。

そんな気持ちを抑えて、家族に何も言えないまま時間が過ぎていった。
僕は本音でぶつかれないことがつらかった。

この20年、僕は親の本音を聞いていても、僕から親へ本音を話したことは一度もなかった。

Twitterとプロポーズ

Twitterを始めたのはその頃だ。
特にメッセージを発信したいわけではなく、淡々とうつのことをつぶやいていた。
寂しさを紛らせていたのかもしれない。ツイッター更新はするものの、死ぬことを考え諦観的な生活を送っていた。

そんなある日、1通のメッセージが届いた。「君になにか幸せが訪れますように…」それが後に結婚することになる、さやかさんからのメッセージだ。

僕らは、日にちを決めて会うことになった。
デートとかオフ会というノリではなくて、さやかさんが僕の話を聞くためだけに会う約束をした。
裏も下心もなく会ってくれた唯一の人だったかもしれない。

待ち合わせ場所に現れたさやかさんは、静かな印象の人だったが、とても強いものを感じた。

僕は親からメッセージが送られてきてつらいと話した。
さやかさんは僕に、親と離れて自立する方法を説明しながら紙に書いてくれた。

今すべきこと、その順序や福祉制度、「私とシェアハウスをしてみてはどうか」など多くの提案が書いてあった。
人に悩みを相談して、感情的な答えでなく、こちらを思った物理的な解決策を話してくれたのは、さやかさんが初めてだった。
ましてや僕とさやかさんはこのとき初対面だ。
その僕に対してここまでしてくれることを、とても嬉しく思った。

会って別れてからすぐにまた僕はさやかさんに会うことになる。さやかさんの家に行った。
行ったというより運ばれたに近い。僕は悩み過ぎていたのか、睡眠薬を大量に飲み、駅で倒れてしまった。
さやかさんにメールで助けを求めると、そんな僕を放置するわけにもいかず、迎えに来てくれた。
深夜なので病院も開いていないし、家に入れて保護してくれた。
あまり記憶がないが、その家には大きなテーブルとたくさんの画材があった。
とても綺麗なおうちだった。

僕は時々、さやかさんの家に通うようになった。まるで「実家」に帰っているような感覚で、安心した。
僕が気を使って何かをしなくていい。見返りも求められない。こんなことは初めてだった。

半年後、新緑の季節に僕たちは結婚した。
家の玄関でプロポーズはされていたが、ディズニーシーで、再度プロポーズの言葉が書かれた手紙をもらった。
そのとき、偶然、夜空にパレードの花火が上がった。

泣いている僕の横で、さやかさんは「自分がここまでロマンチックなことをするなんて想像もつかなかった」と笑っていた。

発達障害と診断された僕

僕は忘れや抜けがとても多い。物を壊したり失くしたり、こぼしたり、落としたり……。さやかさんが疲弊することも多かった。結婚前、さやかさんに勧められ発達障害専門のクリニックに行ったら、注意欠如・多動症(ADHD)と診断された。

さやかさんは僕の話を聞いて初対面で発達に特性があると気づいたらしい。
この後の連載で話すが、僕が会社を休職している話を聞いて確信したようだった。
自分では全く気づいていなかった。

一方のさやかさんは、自閉スペクトラム症(ASD)と診断されていた。
性格上はとても几帳面で、部屋をきれいに保ちたいというこだわりもあった。
そこを僕がことごとく邪魔をして、部屋が汚くなってしまっていたことを今でも悔やんでいる。

あの頃の僕を自分は消してしまいたいと思っている。
今なら、もっと、できることがあっただろうと毎日思う。

織姫と彦星婚

僕たちは、会話をする上では相性抜群で、さやかさんは僕と話していると癒されると言っていた。
気を使わないで自分の素でいられるのは珍しいことだと。

でも僕の抜けがひどく、さやかさんに仕事と家事という物理的なウエイトが200%、2人分かかってしまった。

そのうちもっと増えてしまい、ついにさやかさんは仕事ができなくなった。
「絵を描こうなんて言ってる場合じゃない」と毎日つぶやいていた。

さやかさんがまた絵を描けるように、僕たちは家だけは別々にして暮らすことを決意した。
さやかさんは1人で住めるアトリエを一旦大阪に確保し、僕はさやかさんの家族と仕事をするために、愛知へ残った。

今振り返ると、これはすごく良い選択だった。

ジャズピアニストとヘビメタバンドが同じスタジオでレコーディングできないように、適切な環境は存在する。
仲がいいことと、物理的にも一緒にいられることは別だ。

さやかさんの負担やたくさんの問題は、一気にゼロになった。
僕たちは毎日LINEや電話をしたり、たまに会ったり、一緒に料理を作ったりしている。

誰かに「別居婚」と言われようと僕らには関係なく、自分たちの安定の形を保っていけたら単純に幸せなことだと思う。

織姫と彦星の関係みたいで、なんだかいいなあとお互いに思っている。

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